11:37 01-12-2025
プレシチェエヴォ湖畔・ペレスラヴリの青い石の謎—動く巨石、伝承と古代信仰、科学の仮説、湖底移動の目撃談も
Generated by DALL·E
古都ペレスラヴリ・ザレスキー近く、プレシチェエヴォ湖畔に横たわる「青い石」。雨後に色を増し、湖底から岸へ“動く”と語られる巨石の歴史と伝承、古代信仰の痕跡、科学的仮説や目撃談までをわかりやすく解説。放射線量の異常や発光現象、球電の報告、石が戻ってくる逸話まで、謎に迫る読み物。旅行計画にも役立つ見どころも紹介。
古都ペレスラヴリ・ザレスキー近く、プレシチェエヴォ湖の岸辺に、一見どこにでもあるような石が横たわっている。ところが、この一塊の岩には何世紀も人が惹きつけられ、数々の伝承が絡みついてきた。「青い石」は、雨のあとに色合いがいっそう深まるだけではない。動くことがある、と目撃した人も語る。
古代の聖地の痕跡
記憶の限り、「青い石」は聖なる存在と見なされてきた。伝承では、二千年前、フィン・ウゴル系のメリア族がアレクサンドロフの丘の頂でこの石を祀っていたという。のちにスラヴの人々が住み着くと、石は太陽神への供物の場として新たな役割を得た。日常の呼び名はやがて「ヤリーロのはげ山」となり、ここで長く続いた異教の儀礼の記憶をとどめた。
キリスト教が広まると、当局は古い崇拝を断ち切ろうとした。12世紀、この石は丘から引き倒され、異教の祭場は解体された。人々の間には、上に建てたものは長くもたないという言い伝えがあり、実際に教会は焼け、王侯の館は崩れ落ち、新たな建物も根付かなかった。
何度でも戻ってくる石
禁令は地元の人々をほとんど止められなかった。癒やしを求めて訪れる者もいれば、夕暮れの酒盛りに集まる者もいて、ボリソグレブスキー修道院の僧たちを苛立たせた。17世紀初頭、ついに僧たちは決着をつけようと、石を深い穴に埋めてしまう。ところが十二年後、その巨石は地表に姿を現した。人々は奇跡と受け止め、訪れ手はむしろ増えていった。
18世紀、当局は思い切った策に出る。新しい教会の礎石として使ってしまおうというのだ。冬、石は巨大なそりに載せられ、プレシチェエヴォ湖の氷上を引かれていった。だが氷は耐えられず、石は湖底へ沈んだ。これで決着かに見えたが、漁師たちは奇妙な変化に気づく。巨石が湖の底を少しずつ移動していたのだ。およそ七十年をかけて岸へ“にじり寄り”、かつてとほぼ同じ場所で再び顔を出した。それ以降、動かそうとする者はいない。
なぜ動くのか—科学の見立て
「青い石」の謎には、代々の研究者が取り組んできた。科学者の間では、いくつかの仮説が語られている。
• 湖内の水の循環が動きを生む可能性。 • 冬に氷に取り込まれ、春の氷解で位置がずれる可能性。
それでも、どの説明もすべてを解き明かすには至らない。水流で12トンの岩塊をどうやって動かせるのか。巨石の周囲で測定値が高めの放射線量を示すのはなぜか。発光現象や球電の目撃談はどう説明すべきか。さらに大胆な見方として、石は大半が地下に潜む複雑な自然構造物の一部かもしれない、という指摘もある。
消えない問い、尽きない魅力
「青い石」は今も、研究者と旅人の双方を引き寄せてやまない。雨のあとに色が濃くなり、吹雪のなかでも雪を払い落とすかのように露出し、数え切れない地域の語りの中心に居続ける。専門家が経過を見守る一方で、住民は新たな逸話を重ね、石にはまだ秘め事があるのだと口々に言う。理屈を並べても、この場所が人を離さない理由を簡単に片づけることはできそうにない。