14:38 25-11-2025

ムルマンスク地下の巨大防空壕、伝説は現実に:調査が明かす隠された施設の構造と入口、氷水と竪坑に挑んだ記録

北極圏の都市ムルマンスクで、伝説とされた地下施設の防空壕が実地調査で浮上。竪坑や換気ブロック、1940年代の気密扉、陽圧とフィルター設備、水位変動まで詳報。深さ25〜27メートル、八つの入口と十数本の竪坑、500メートル規模の広がり。厳冬期の氷水やメタンも乗り越え、1947年竣工の構造を追跡する。現地記録も掲載。

荒唐無稽と思われた伝説は、そうでもなかった。

2000年代初頭、地元のタブロイド紙に、都市の地層の下に巨大な地下施設が眠っているという短い記事が載った。筆者はそれを「おとぎの街」と呼び、街の下に隠れていると書いた。当時は、よくある与太話のように読めたものだ。どの街にも噂はある。けれど時がたつにつれ、かつては失笑を誘った話が、思いがけず手で触れられる発見へとつながっていった。

伝説がつながり始めたとき

2011年までに、点在していた都市伝説の断片が少しずつ噛み合い始める。別々の情報源が、同じ地区を指し示していたのだ。20世紀にそこでどんな地下工事がありえたのかを勘案し、手がかりをふるいにかけた末、調査は複数地点に絞られた。噂は簡単に笑い飛ばせるが、現場で拾った小さな証拠が地図の上で重なり合うと、無視はできない。

そのうちの一つで、ほぼ20メートル落ちる傾斜通路が見つかった。降り着いた先は水だ。ここから、長く続く発見の連鎖が始まった。

後に判明したのは、戦争が始まったごく初期、主要都市の防空本部が、市民用の防空壕と都市機能を維持するための防護司令所の建設を急務としたことだ。その一つが北極圏の都市、ムルマンスクで着手されていた。

新たな入口と最初の見立て

その後の数年で同じエリアから、別の降下路や換気竪坑、非常口が次々に現れた。最外縁の距離はおよそ500メートルに達する。水位は年ごとに変動し、厳冬期には氷水をかき分け、夏には空気マットで進んだ。床下からメタンの気泡が立ち上がり、撤退したこともある。現場はいつも容赦なく条件を突きつけてくる。

確認できた主な入口は八つ、竪坑は十数本。すべてを踏査できたわけではないが、規模感をつかむには十分だった。

岩盤の下に広がるもの

地下空間は平均で約25メートル、場所によっては27メートルに達する深さにある。施工の痕跡から、施設の竣工は1947年と読み取れる。工法は立坑を掘り下げ、そこから水平坑道を伸ばす方式。各竪坑の上には換気設備と付属室を収めた鉄筋コンクリートのブロックが据えられていた。

天井はI形鋼で補強され、その間に厚鋼板を敷設。スラブ厚は最大で4メートルに達する。上には防護マットと土を重ねる——爆風や破片に耐えるための防空壕として標準的な構成だ。

出発点は、裏庭の目立たない小屋

探索を単なる噂話から本格調査へと変えた最初の発見は、住宅街の中庭にひっそり建つ小さな構造物だった。見た目はよくある変電キオスクだが、内部には傾斜する降下路が隠れていた。中には小型のサイクロン式換気装置。階段は地下へと続き、途中の小さな扉をくぐると次の階段へつながっていた。

降り着いた先は接近坑道——かつて外気を取り入れていた通路だ。突き当たりには1940年代の過圧弁が四つ付いた換気竪坑。爆風を受けると自動で閉じる仕組みだった。

偽装された非常口

この竪坑は非常口としても使われた。上部はコンクリートスラブで覆われ、地表からは普通の中庭のように偽装されている。すぐ脇には竪坑上部に設けられた換気ブロックの入口もあった。1940年代のオリジナルの気密扉は一部だけが残り、その後新しい型に交換され、1990年代には取り外されている。

ろ過と陽圧

扉の先には小さな前室があり、通路は二手に分かれていた。多くの扉はすでに外され、枠だけが残っている。左の通路にはPFP-1000の集じんフィルターが四基。主要な換気装置はさらに下層のブロックに据えられていた。

フィルターの先では、ダクトが竪坑に沿って下方へ空気を送る。隣室には圧縮空気ボンベ用の架台があり、かつてはおよそ十五本ほど並んでいた。内部を陽圧に保つためのものだ。

装置の痕跡と時代の気配

ブロックの別の場所では、小さな過圧弁が壁に残っていた。さらに進むともう一つの前室。開口部の上には、うっすらと鎌と槌の紋章の輪郭が見て取れる。その先の部屋には、かつて十数本の受気用ボンベが据えられていた。ところどころで古いしっくいがはがれ、コンクリートが薄片のように剝がれ落ちている。

最深部の竪坑へ

メイン通路は27メートル落ちる竪坑へ続く。梁で補強された天井からは小さな水槽が吊られていた。階段は十二段分の踊り場を重ねて下へ。途中のレベルには第三段のポンプ室への入口があり、ここには1940年代の気密扉が残っていた——当初三枚あったうち唯一の生き残りだ。先にはもう一枚の気密扉が保存され、膨張槽へと通じる坑道が伸びている。

踏査の到達点

さらに数階分下ると、第二段のポンプ室のニッチが現れる——機器はすでに撤去済みだ。そこから先、階段は水に没する。水位はこの年月で幾度も上下し、ときに九階分まで降りられ、ときに十階、あるいは十一階までいけた。水がその日ごとの境界線を引き、前進と撤退を決めるのだ。